私の2次情報。

渋谷のITベンチャーで働くゲイが、フィールドワークとかニュースで見つけた1次情報に、解釈を付け加える。主観的だし、正しくない。

コンテンツよりコンテキスト

はじめに

今月頭に、facebookに投稿した記事が結構、いい感触だったので、ブログにも編集して書きます。

言いたいことは、タイトルそのままで「コンテンツよりコンテキスト」です。

時代の潮流というか、大きな流れだと思っていて、最近感じるモダンからポストモダンの時代の流れの中の1つだと思ってます。

また別の話になりますが、最近、自分がフィールドワークとか、人と話したりとか、本で読んだ内容とかの「点」の情報が「線」になって知識として理解できたりすることがあります。

人のつながりにおいても、他のネットワークとつながるというか。人脈というよりも、偶然性が大きくて、あるビジョンに共感している仲間が、ネットワークで最適につながり合うみたいなことが起こってます。

今回の話は、こういった「点」→「線」の気づきの中の1つでもあります。

 

コンテンツよりコンテキスト

時代の流れとして、コンテンツよりコンテキストでしょ、って最近思いました。

ここでいうコンテンツというのは、コンテンツマーケティングとか、コンテンツSEOとかっていう意味の、いいコンテンツということでなく、一般的にコンテンツというものと、コンテキストというものの、概念についてのお話です。

今回は3つの事例で、そのコンテンツからコンテキストが重視すべき理由をあげたいと思います。

 

メタコンテンツとしてのコンテキスト。権威主義としてのコンテキスト。

1個目は、コンテンツももちろん大事ですが、メタコンテンツ=コンテキストを把握しておくということは、このコンテンツの溢れる社会で重要だということ。

情報に対する、メタ情報が情報の重要性を規定するということです。

これは一見、権威主義的にも聞こえますし、実存主義か?!教義主義か?!とか、自分反論・一人dialogueしてしまいますが、
そもそも権威主義の世界が成立する蓋然性があるかと言われれば、そんな訳はなく、
新しい技術や革命で変えるべきものもあれば、変わらないものもあるということです。

※これは、今読み返してみると抽象度が高いですが、情報を発信している著者・メディアなどによっても、そのコンテンツの重要性は依存しているということです。

これは一見、偉い人の言うことは何でも正しいのか?という議論にもなりますが、逆にWEB上に溢れるコンテンツはSEOコンテンツもゴミだし、そうじゃないコンテンツもなんかどっかで聞いたことあることを「~するべき3つの理由」とか「~する前に見ておく7つの質問」とか、なんか1個1個見てみると、当たり前のことで、ゴミやんって思っちゃいます。キュレーションメディアとかもそうですよね。

逆に権威主義性がなくなることで、だれでもコンテンツが作れることで、自由になったけど、それってそもそもゴミが溢れるってことだし、権威主義は否定されがちだけど、全くない世界というのも考えづらい。いくら革命が起こっても変わらないものはある。ということ。

情報革命を過大評価しすぎて、ゼロベースすぎるのはいかがなものかと。
とにかく全ての伝統的なものや、権威的だったものが、淘汰されることで合理的な場合はいいと思います。ただ、非合理的な場合も多いと思うんです。

別の話ですが、そういうアナーキズムに燃える人って、IT界隈に多いですよね笑
「大企業なんかじゃ、成長できない!!!」とか。全ての古いものを否定する人です。ただ、こういう人も教義・ドグマの中にいますし、ニュートラルに物事を見れていないということだと思います。

 

コンテンツから始まる思考は、コンテンツの中のみで完結し、コンテキストが変わらないので、根本的な問題解決にならない。

次は、コンテンツから始めると、コンテンツにしか終わらないということで。
コンテンツ的問題解決は、コンテンツの内的世界の解決にしかならないということです。

例えば、これは前々から言ってることなんですが、
「嫌われる勇気」という本を読んで、それを書かれている文字通り=コンテンツ通りに解釈・実行を行うと、全く嫌われる勇気なんか持てないし、むしろ嫌われることを一層怖がるだけということです。

※ちなみに嫌われる勇気は下記の本です。アドラー心理学を勉強するなら、新書になっている方が個人的に好きだったのですが、こちらもいい本だと思います。新書版も紹介しておきます。

そういった人たちの心理フローは下記のようなものが多いと思います。

  1. ある行動を行う。
  2. 結果、嫌われて、傷ついた
  3. 傷ついたけど、これって「嫌われる勇気」を出したってことじゃん!俺は空気が読めないわけでもなく、周りが流されすぎなんだ(自己正当化)
  4. 「お前ら、流されすぎだぞ」とか「お前ら、嫌われる勇気をもてよ」、と発言する(自己正当化だけでは、承認が得られないので、こういった発言で周りに賛同を求めます。)
  5. もちろん、大抵の場合賛同は得られないので、承認が枯渇する。(嫌われる勇気のある状態ではない)
  6. よくある通り、下記3パターンに陥って、結局承認も得られない悪循環。(嫌われる勇気を持てる可能性が一層下がる)

承認が枯渇した人の、精神分析学的によく言う3パターン
エヴァンゲリオンの主人公にこのパターンが当てはまるという理論を作っている人もいます。

  • 周りの目をとにかく気にする。でも、「気にしてないと思わないと」、と、「嫌われる勇気」を発揮して、またコンテンツ上での思考が始まり、承認は得られなくて悪循環。
  • 失敗するのが怖くて何もできなくなる。となると、承認が得られなくて悪循環。
  • 周りに関心がなくなって、社会性そのものが欠乏する。犯罪犯したりし始めそうなので、承認どころか社会的身分も怪しくなる。

これと似たようなことが、ポジティブとポジティブシンキングにもあります。

これは、聞いた話なんで受け売りですが、
ポジティブな人はそもそもコンテキストもポジティブだから、ネガティヴにそもそもとらえない。

でも、ポジティブシンキングは、ポジティブシンキングをしようとする時点で、ネガティヴという自覚があるし、ネガティヴにはじめ捉えてしまう、ネガティヴコンテキストだから、そこから、そのネガティヴに捉えたコンテンツをコンテンツの中で、ポジティブに考えようとするので、結局、根本はネガティヴ。

そして、意識的にやってるから経済的な成果は出るかもだけど、心は辛くなる。

上記の2つ例みたいに、コンテキストの内部で、コンテンツをコネコネやっても結局嫌われる勇気を持てる状態にもなれないし、ポジティブにもなれません。

嫌われる勇気を持っている状態とは、ある行動をしてもし失敗して承認が得られなくても、自己内部の承認というか自己内部の確信があるから。ポジティブというのはそもそもネガティブに捉えないということで、ポジティブにしなければいけないという考えではないから。

つまり、コンテキストそのものを変革させる必要性があるんです。

 

コンテンツ思考は、経済的・ビジネス的な成果も限定的にする。

3個目は、コンテンツで考えると成果も限定的になるという話で。
何個か本とか、人から聞いた話とかを織り交ぜて受け売りで話します。

図にすると下記のような感じ。

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今はMBAとかロジカルシンキングとか、コンテンツ的な思考が流行っていて、みんな熱中してますが、無駄ではないけど、それは必修単位くらいの感覚で押さえておいたほうがいいかなレベルのものかなと思ってます。

というのも、ロジカルシンキングとコンテンツ思考は似ていて、
同じインプットなら、同じアウトプットを出す思考法。

コンテンツの世界でどれだけ効率よく考えるか的な。
となると、だいたいの情報は検索エンジン上にあるし、ロジックってのは分かりやすいから、伝搬しやすいので、競争優位性につながらないです。

また、インプットの点でも検索エンジン以外でも、リソースにしても、big dataは、google,amazonには敵わないし、もちろんヒト・モノ・カネも敵わないし、
ということで、結局先行者優位で競争優位性が生まれない。

MBAとかの人が中途で入ってきた企業って業績怪しくなる気がするんですよね。全部ロジカルに進めて、理念とかビジョンの共感性がなくなるというか。全部管理しやすいから数値で管理をするというか。そして、面白いアイデアなんか生まれないから、結局、残業させまくって、ヒトのリソースで勝負。やりがい訴求で優秀な新卒を集めまくる。みたいな。

コンテンツ思考は大事だけど、そこで終わってたら、なんか面白くない成果で結局ブレークスルーも生まれなくなっちゃう。
となると、直接目に見えないコンテキストを見ていくことが人間的だし、競争優位性も高まる。
と思うんです。

最近思うのは、歴史を知らないと、その場その場の流行りとかを絶対視してしまうけど、歴史的なコンテキストを知っておくことで、大局的に物事を見れるなということで。

ロジカルシンキングも、日本の昔のあうんの呼吸をみんながなんとなく使っている時代がうまくいかなくなったから、欧米式のMBAの手法とかが流行ってるけど、
みんながこういった体系化された方法を使い始めると、そもそも伝搬しやすいものだから、みんなが使えば競争優位性もなくなる。
ということなんだと思います。

だから、教科書的に身につけてはおくけど、なんか、それだけで進められると腑に落ちないってことがあるのかなと。
(これが、ドラッカーの言うモダンな手法ですね。ポストモダンなのに。もちろん、ドラッカーの言う通り、モダンな手法も残業がらはびこってるところに、PMBOK導入したり、タイムマネジメントしたりは大事だと思うけど、それだけではいかんということですな。なんでもシステムシンキングで考えるのは、頭いいと思われるかもだけど、どーなの?的な。)

と、まあ、ロジカルシンキングだけだと、どうしてもありきたりな案しか出てこないし、出てきても、先行事例がないからだめーってなったり、結局金儲けだけやんって感じで共感されなかったりするんだと思います。

そもそも、このロジカルシンキングとかMBAって、一見正しそうなこと言うし、頭良さそうだからカッコイイっていうのがモチベーションになってる気がしますね。

正しいし、頭も良さそうに見えるから、こういったビジネスマンにありがちな「自分仕事できる」「自分正しい」「自分頭いい」とか思いたい人にはちょうどいいんでしょう笑

ただ、それによって下記のようなデメリットもあります。

  • クリエイティビティも失われる
  • 自分のプライドを守るために人の自尊心を傷つけるような発言をする
  • 過度にリスクヘッジばかりを考えて大きなことができない
  • 概して、クリティカルシンキングばかりで建設的でなく、人を評価したがる弱い自意識(そもそもツールで承認を求める時点で自意識病んでるか未熟)
  • すなわちEQが低い

コンテキストとは別の話になってしまいますが、EQの高さや、禅的な思考法って大事だな~今風だな~と個人的に考えている分野でもあって、ポストモダン・コンテキストとかと並んで個人的に時代に潮流と思ってます。
また別の機会に話したいです。

 

おわりに

3つくらい事例をあげました。
コンテキスト時代ですなー!
最近、直感的にもやもやしてたのが、言語化されて整理された。よしよし。

これ以外でも時代の流れだな~と感じる機会が多いので、それをまとめていけたらなと思います。では!